ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その39)」「パトロン」

芸術の発展には、パトロンの存在が不可欠だと思います。
パトロンとは「支援者」や「援助者」のことで、継続的に作品を買ってくれるお客様や、制作活動をする環境を提供してくれる人、組織と言った感じです。日本でいうと、江戸時代までは貴族や殿様、豪商、大寺院がそれを担い、明治以降は実業家や資産家、好事家、戦後は大企業や美術館、外資の富豪などがそれに当たるでしょうか。

安土桃山から江戸期はパトロンの力が絶大で、また芸術に対する理解もあり、材料も贅を尽くし、時間・工数もたっぷり注ぎ込んだ逸品が大量に生み出されました。当時はデザインや技法の進化も早く、日本各地に伝統工芸が生まれ、今日に残る木工や漆芸、蒔絵、金工、武具、陶芸、織物、和紙などほぼこのころ確立したと思います。また、日本画、墨画、版画、書など我が世の春を謳歌し、仏像、木造建築は呆れるほどの超大作が生み出されました。その中には、現在再現不可能なものも多く、芸術・工芸家にとってまさに夢のような時代だったと思います。

今日、古き良き時代に比べて、パトロンはめっきり減り、芸術家にとって、長い冬の時代です。特に日本でパトロンが減った理由を、私は二つ考えます。第一に、戦後、国民総中流化が進み、低所得者が減った代わりに富豪の数も減ったためだと思います。第二に、美術教育の不備で、美術が苦手だというトラウマを持った人、つまり美術アレルギーの人を多く生み出したことによると思います(ぎやまん草子、その34で触れています)。第一の理由からは、一流芸術家を育てる土壌を失わせ、第二の理由からは、一般市民が美術品を気軽に買い求める道を閉ざしてしまったと思います。

今日、美大を出た人でも、己が制作物を世に問うて生きていける人は極極わずかで、恐らく1%もいないのではないでしょうか。陶芸やアクセサリーなどの金工、写真のような実用美術なら、芸術性というより職人技を活かしての活路はあるかと思います。ですが、絵画や彫刻のような純粋美術では、「さて大学は出たものの」と途方に暮れての世間への船出だと思います。勢い、就職先を学校の美術教員や、カルチャースクールの先生に求めることになると思いますが、それとて狭き門で、職に就ければ勝ち組に入ると思います。

ちょっと羽振りのいい芸術家がいたと思うと、実家が大金持ちだったりします。例えばクラシック音楽家を志すのであれば、医者を目指すのと同様「家が裕福」は、必須でしょう。

芸術家が、創作活動だけで食べていける世にならないと、芸術は衰退すると思います。もちろん、過去の歴史において、非常に貧乏を強いられて、それでも死後名を成した作家がいることは確かです。ゴッホやエコール・ド・パリを私は真っ先に思い浮かべます。しかし、それはやはり少数派だと思います。

芸術がある様式を確立するまで進化し、その時代の文化とまで呼ばれるようになるには、芸術家に「生活」の心配をさせるべきではないと思います。天才的芸術家には、専門馬鹿と言ってもよいくらい、世渡りや商才に欠ける者が多いからです。

現在、芸術文化といわれるものがファッション、商業デザインやサブカルチャーなど「即→金」なるもの、「消費されるもの」に偏っている点を私は危惧しています。政治的に芸術家を保護する政策は、私は得策ではないと思っています。朝令暮改では芸術家は育たないでしょうから。それより小中学校での美術教育を見直し、実技に偏る教育ではなく、鑑賞者としての目を養う、つまり将来芸術品を喜んで買う側を養成する教育を期待します。

また美大での履修科目に美術経営を加えるべきです。具体的には、仕入れ、販売、受注や宣伝の仕方、公募展対策、画廊との付き合い方などを教えるのです。また、日展や院展などの美術団体とは別に、労働者としての芸術家の安定と地位向上を目的とした、組合を作るべきでしょう。

そういう意味では、芸術家自らにも、パトロンを見つけ出し、パトロンを育てる気概が必要になってくると思います。

パトロンのステンドグラス

私には、実は独立当時からパトロンがおります。お一人ではなく、団体さんですが。写真は、そのお一方のご自宅です。ステンドグラス「スイング・メン」が入っています。

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