ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その35)」「値段」

予想外の値段の高さに驚かされる、っていうことありませんか。土地やダイヤモンドのように誰もが認める高価なもののことではなく、見た目はもっとあっさりしていて、似たようなものが安価に手に入るもののことです。

例えば、テレビで紹介される銀座の老舗寿司店で、トロの握り1貫2,000円したりする場合です。思わずその値段の根拠を知りたくなりますよね。だって、回転寿司では2貫で100円なんですから。

多くの場合、大将はその原料となるマグロ本体や、部位の希少性を説明して、レポーターも一応納得します。でも、私は納得がいきません。大将は、本当にその原材料の高さを言いたかったのでしょうか。レポーターがもっと突っ込んで質問したり、あるいは裏付け調査をしたら、原材料は想像以上に安い気がします。大将は、「俺の腕の値段、つまり技術料だよ」と言いたかったのではないでしょうか。

日本人が納得しやすい値段の根拠はなんでしょう。
まず1番目は、原材料に因るものでしょう。高い材料でできたものに高い金を払う。至極当然です。
2番目が、制作にかかった時間でしょうか。時間がかかったもの=労働が費やされたものは高い。これも納得がいきます。
3番目が、権威付けされたもの。例えば、弁護士の相談料は高い、とか、賞を取った人の作品は高い、といった類です。
最後の4番目が、「才能」に金を払う。これがなかなか納得されない部類ではないでしょうか。権威付はされてはいないが卓越した才能・技術の要るものです。例えば、在野の書家の書く「書」なんてどうでしょう。原材料はせいぜい数百円、作業時間も1時間とかでしょう。これが10万円と言われたら、どう思いますか。「えっ、時間給2,500円として…3,000円くらいで譲ってくださいよ」と内心では思うのではないでしょうか。まあしかし、この書家さんが「ここまで来るのに20年間修業しましたので、自己投資の回収分が入っています」
とか説明してくれれば、あるいは納得がいくかも知れません。でも、これでは上記2番目の「時間にお金を払う」の亜種になってしまいます。

世の中には、修業時間もたいしてかけずに、素晴らしいものを生み出す天才もいます。我々、こういう人には、なかなかお金を出せませんね。
その理由を、私なりに考えてみました。
まず第1に、日本人は自分の目や舌で価値を判断できる審美眼を持っていないから、ではないでしょうか。「有名な評論家がイイと言っているから、イイに決まっている」「制作に時間がかかっているのか、彼も生活がかかっているし払ってやるか」と言う根拠で、お金を払っていませんか。
第2に、人は皆、同じ能力を平等に持っている、と思っているから。
企業に属した研究者が、ノーベル賞級の素晴らしい発明をしても、ちょっとボーナスが上がるくらいで、才能に対する対価が支払われない。なんて話も聞きます。こういう企業のお偉いさんは、同じ実験装置と同じ時間を与えれば、誰でも同じ発明が出来ると思ているのでしょう。大多数の日本人は、個個で異なる潜在的才能があることを認めたがらず、それを評価する習慣が無いのだと思います。

ステンドグラス「ストレリチア」 2012年制作

ステンドグラス「ストレリチア」
2012年制作
ステンドグラスの高価の根拠を聞かれると、ついつい「ドイツとフランス製のアンティークガラスを使用していますので」と言ってしまいます。でも、正直材料代は全体の2割程度なんですけどね。
小心者なので「ほとんどが私の技術料です」とは言えません。