この絵に登場するモチーフは、依頼主様の指定です。幼い姉妹が遊ぶ様子を夢の世界のように描いてほしいとのご希望でした。
単板としては大型の1200mm×900mmです。埼玉県の一般住宅に納品されます。
※この作品の詳しい説明は、ステンドグラス工房達風サイトの作品集ページで。
この絵に登場するモチーフは、依頼主様の指定です。幼い姉妹が遊ぶ様子を夢の世界のように描いてほしいとのご希望でした。
単板としては大型の1200mm×900mmです。埼玉県の一般住宅に納品されます。
※この作品の詳しい説明は、ステンドグラス工房達風サイトの作品集ページで。
ステンドグラス「光の階段」も、いよいよ完成です。
組み立ての最後は、周囲に真鍮製の補強枠をハンダ付けすれば終了です。
仕上げの最初は、洗浄です。ハンダ工程で付着したフラックスを、洗剤とお湯で洗い流します。
この洗浄を十分にやっておくと、この後の黒染めもきれいにできますし、ステンドグラスの寿命も延びます。
ハンダを黒く染めると、絵が締まります。この後、やはり大量のお湯で、パティーナを洗い流し、乾いたらワックスで保護被膜を作ります。
真鍮枠の隙間にパテを詰めて、無事完成です。
大判のステンドグラス「光の階段」は、テープが巻き終わり、組み立て段階です。組み立て用の原寸型紙の上に、ガラスピースを並べていきます。
この段階で初めて、全体図を目にすることになります。感動もひとしおです。
コパーテープに融かしたハンダを盛っていきます。その前に、酸化膜を除去するために、ペーストフラックスを万遍なく塗ります。
100Wのハンダコテで、直径3mmの棒ハンダを融かしながら、ガラスピース間の隙間に流し込むように、盛っていきます。
このハンダ付けを、両面やります。
ステンドグラス制作は、最後の絵付け+焼成が終わりました。
少女の顔のピースは4回重ね焼きしました。
さて、作業は終盤、コパー(銅)テープ巻です。コパーテープ技法のステンドグラスでは、ガラスカットよりもこのテープの貼り具合の方が、仕上がりに影響します。
家族総出で作業します。
今回は、絵付けステンドグラスですので、グリザイユと言う伝統的な顔料を使って、全体の約半数のピースに絵付けをします。
ライトボックスの上で、型紙の上に載せたガラスピースに、細筆で描き込みます。グリザイユは、金属粉とガラス粉を原料とする顔料で、水やお酢で溶いて、絵具のように使います。ただ、乾いてもガラスに定着しないので、簡単に剥がれ、重ね塗りができません。ですので、少し描いては窯で焼成し、定着させながら、重ね塗りをしていきます。
特に気を遣うのは、少女のピースです。まず、目や鼻、髪などの細筆を使った輪郭を描きます。
窯に並ぶだけ並べて、1回目の焼成です。焼成時間は、冷却時間も含めて半日かかります。1回の焼成で、必要量の半分が焼成できます。
輪郭線の定着しているピースに、今度は重ねて陰影を付けます。この工程は気を遣います。水で薄く溶いたグリザイユを、うっすらとガラスに塗り、これをバジャーと言う大きな刷毛で、伸ばしていきます。これも、ただ延ばせばいいのではなく、明暗の差が出るように伸ばします。
それぞれのピースに輪郭や陰影が付いています。腕や脚も、立体的になってきました。絵付けをしていると、ステンドグラスを作ってるなあ、という一層の感慨に浸れます。
切り出したガラスピースは、エッジが鋭く、危険ですので、ダイヤモンドの回転砥石で研磨します。
ルーターと言う電動工具です。直径の異なるいくつかの回転砥石(ビット)があり、それを研磨する形状に合わせて付け替えて、研磨します。
ルーターを使うと、ガラスカッターではできない、鋸形状にも加工できます。
全ピースの研磨が終わりましたので、いよいよ、ステンドグラスの語源でもある「ステイン=絵付け」作業です。
制作中のステンドグラスは、長いガラスカットの工程が終わりました。450ピースが切り終わり、次は周囲の研磨です。
ところで、スポット的に入っている、フュージング画の「書」の試作です。久しぶりにグリザイユで、真剣にシタタメました。
ちなみにお手本は、書道の先生が書かれたものです。それを、写経のように写しただけです。が、ガラスは水を吸わないし、グリザイユは粘性が高いし、思うように筆が進まないです。
またまた違う仕事。ネットスクール達風の通販ページをリニューアルしました。念願のカート式です。
平成十九年春に行ったヨーロッパの紀行文は、今回が最終回です。
旅の後半は、学生時代からの友人フランソワ・ゲリー(当時留学生)の世話になりました。彼は私が渡仏する度に仕事が変っており、この時は自分が考案した教育用カードゲームを、小学校に売り込んでいました。自由人の彼は、私が渡仏する度に臨時休業とし、車で方々連れて行ってくれます。今回は彼の恋人で仏領マルチニーク島出身のマドモァゼル・カリーヌも一緒で、私の妻も含め4人旅となりました。ちなみに彼の恋人も、毎回違います。
パリ郊外の彼の自宅近くで落ち合い、夕方から高速道路を飛ばし、隣の国ベルギーの首都ブリュッセルへ。深夜にユースホステルに着き、男女別の大部屋に分かれて泊まりました。翌日から、ブリュッセル観光。グランプラスという中世ギルドのゴシック建築に囲まれた広場や小便小僧の像、サン・ミッシェル大聖堂を見て廻りました。昼食は名物ムール貝の蒸し焼きと、数種類のベルギービール。夏のような日差しの下、姦しくテラスで酒盛り状態でした。
その後アウトバーンを飛ばし、ドイツのアーヘンという町に移動しました。パン屋に直行し、本場のドイツパン数種を「ブロート・ビッテ!」と片言のドイツ語で購入。あーでもないこーでもないと大声で議論しながら、パン屋内のカフェコーナーで食べまくりました。家では毎朝手作りのライ麦パンを食べているので、本物を味わうこの機会を楽しみにしていました。ライ麦100パーセントのドイツっ子ですらあまり食べないという素朴なフォルコンブロートは、酸っぱくてぼそぼそしています。しかし、噛むほどに味が出てきて、ドイツ民族の味がしました。
夜は、ケルンの郊外フレッシェンという町をさまよい歩きました。土曜日深夜の田舎町で、開いている店を探すのは至難の業です。通行人に尋ねて、ようやく気持ちの良い店(BAR)にたどり着きました。眠ったように静かな町の中で、この店だけはお祭りのような賑わいです。ドイツの巨漢達は、地ビールをしたたかに飲んでいるようでした。好奇の目に曝されながら我々「外国人」も席に着き、お決まりの名物、ザワークラウト(醗酵キャベツ)とソーセージ、地ビールをやりました。ベルギーといいドイツといい、ビールにコクがあり本当に旨くて、また食べ物がビールに良く合います。血液からアルコールとホップが抜けない数日でした。
翌日、建築に600年を要したという世界遺産ケルン大聖堂を隅々まで見て廻り、パリに戻りました。パリではカリーヌのアパートメントに転がり込み、ここで数日厄介になりました。最終日には、我々がカツ丼を作って食べさせ、再会を誓って帰途に。彼らが来日したとき、B級グルメの旅を案内するのが楽しみです。