母校・国大とSCITEX(理工ゼミ)部室を訪ねる

今日、同窓会があるので、久しぶりに横浜に戻って来ました。日中時間がありましたので、母校行脚(散歩)をしてきました。横浜国大のキャンパスを歩き、利用していた学食で昼食をとり、いつも入り浸っていたサークル=SCITEX(理工ゼミ)部室を訪ねました。ご同輩には懐かしい写真がたくさんあるかと思います。

実は、数年前、恩師の退官記念講義+セレモニーがあり、その時以来ですので、ものすごく久しぶり、というわけではありません。

<1>登校編

横浜国大周辺マップ1

横浜国大周辺マップ1

今も昔も、国大生の多くは、相鉄線の和田町駅を最寄駅として、徒歩で登下校します。この行程が急な坂道の上り下りのうえ、20分ほどの距離があり、朝一番から疲れ果てるのです。

和田町駅とその周辺は、卒業時(25年前)とそんなに変わっていません。

和田町駅(相鉄線)前

和田町駅(相鉄線)前

駅を降りて、いつも通った駅前商店街です。見覚えのある古い店もちらほらあります。下宿生の友人とよく食べに行った路地裏のお好み焼き屋もありました。

和田町商店街

和田町商店街

国道16号線をまたぐと、住宅街に入り、やがて右ルートと左ルートに分岐します。ここから胸突き八丁の上り坂ですが、往路は、急だが距離の短い左ルートを採ります。

通学路の分岐点

通学路の分岐点

道は、狭い歩道になります。今日は、冬休み中で、学生はほとんど通りませんが、平日の登校時は混雑します。しかも、つっかえるので途中で立ち止まって休めません。

真福寺と和田稲荷の横を通り

真福寺と和田稲荷の横を通り

坂の途中の横断歩道。横浜バイパスと16号線を繋ぐこの車道も、坂道なので車はすごく飛ばしています。が、当時学生は、隙を見て信号無視で横断していました。今はどうかな...

学生がたまる横断歩道

学生がたまる信号のある横断歩道 わたると、向う側に歩道が続きます

坂を上りきると、右ルートと左ルートが再び交わる峠です。写真(6)は峠から、来た道を振り返って見たところです。自販機のすぐ左が、左ルートで上がってきた道です。

右ルートと左ルートが交わる峠

右ルートと左ルートが交わる峠

<2>キャンパス編

横浜国大周辺マップ2

横浜国大周辺マップ2

 

私は工学部・機械工学科でした。工学部の学生は、峠にある常盤公園のグラウンドを突っ切って、国大南門からキャンパスに入ります。下の写真の鋭角に曲がる道路も、当時のままです。

常盤公園を降りて、大学通用口近く

常盤公園を降りて、国大南門近く

今は、理工学部・教育人間科学部と言うそうですが、当時は工学部・教育学部でした。ここに近い、通用口です。検問らしいところは無人で、フリーパスで入れました。昔は、学生運動をけん制するための、機動隊の護送車がいつも停まっていましたっけ。

工学部・教育学部に近い通用口

工学部・教育学部に近い国大南門

校内に入って、図書館の横をすり抜け、最初に懐かしい中央広場(通称:野音)に来ました。天気が良い、休講の時、ゴロゴロするところでした。よく大学のパンフレットなどにある、芝生に車座になりギターを弾いて歌っている、なんて光景は一度も目にしたことはありませんでしたが。

ステージの裏の木が、すごく育っていて覆い隠す勢いです。

野外音楽堂

中央広場

理工学部方面に進路を取ります。当時庭木のようだった植込みの木も、25年の歳月で生育し、なにかうっそうとした雑木林をところどころに形成しています。また、校舎にグリーンカーテンを施しているようで、冬の今見ると、蔓だけが壁を這っています。

講義棟(左)と電気情報棟(右)

講義棟(左)と電子情報工学科棟(右)

休講などの情報を貼り出していた掲示板は、昔のままです。でも今は、たぶん携帯メールなんかでも伝達しているのでしょうね。

左は掲示板

左は掲示板

私が在籍していた機械工学科の建屋=現:生産工学科棟です。4年生からM2までの3年間は、この6階の研究室に、半ば住んでいました。

生産工学棟(機械棟)

生産工学科棟(機械工学科棟)

生産工学科棟のロビーには、明治時代製みたいな古い機構学のモデルが展示してありました。

機構学の実験装置

機構学の実験装置

建設学科船舶海洋工学棟に来ています。船舶海洋工学出身で、私とは中学1年からの親友だった日揮の川畑圭右君が、今年1月、いたましいことにアルジェリアのテロ事件の犠牲になりました。学生時代、この近くの第2食堂でも、時々会った思い出があります。

黙祷。

船舶海洋棟

船舶海洋棟

さて、12時半になり、懐かしの第2食堂で昼食をとることにしました。コンビニも右隣にできていました。見るからに外部者の私たちでしたが、なんらかのIDの提示も求められず、学生と同じ値段で食べられました。メニューは当時と変わり、量り売りのビュッフェや、ラーメン、定食など、少し複雑と思われるシステムで販売していました。貧乏学生の定番、コープ定食(確か230円??)の現存を期待していたのですが、有りませんでした。

第2食堂

第2食堂(左の建屋)

ビュッフェでおかずを選んで、量り売りです。これで約400円

ビュッフェでおかずを選んで、量り売りです。これで約400円

食堂内部の雰囲気は、少し明るくなったかなあ..といった感じ。冬休み中ですが、そこそこ賑わっていました。

第2食堂内部

第2食堂内部

<3>サークル編

食後、理工学部、教育人間科学部、経済、経営学部を通り抜け、とても綺麗とは言えない文科系サークル棟に来ました。私の青春の一ページはここにあります。

SCITEX(旧:理工ゼミ)というマイコンサークルの部室がここにあったのです。3畳ほどの狭い部室ですが、毎日必ず寄って、ノートに記帳し、夜までしゃべっていました。

文科系サークル棟

文科系サークル棟

部室は1階の左寄り。下の写真はその内部ですが、25年前当時より、広く陣取っています。当時は写真右の小部屋だけでしたが、今は中央の大部屋(旧 囲碁部)や左小部屋(旧 ホットワックス)も占有していました。

SCITEX部室

SCITEX部室

たまたま居た、昼食中の現役部員と話すことができました。今、部員が、数十名いるそうです。私が昭和60年代のOBだというと、とても驚き、古い資料を出してきてくれました。

彼らは、APPLE][の名は知りませんでしたが、「理ゼミノート」は知っていて、一生懸命探してくれました。時間の関係で、それは見ることができませんでしたが、コンパチアップルやその拡張ボードの回路図、6502のマシン語ダンプ、当時の名簿(私の名もありました)も出てきて、驚きまくりました。

後輩たちは、幸い大規模な整理をしなかったのか、とても、物持ちが良いと思いました。当時の学園祭は、姓名判断で稼ぎましたが、今は、自作アプリをちょろちょろ売る程度だそうです。

SCITEXの28年前の資料

SCITEXの28年前の資料  TOMATO9の回路図だのμPD7220の資料だの、いろいろ入っていました。

<4>グラウンド~下校編

さて、最後に正門を出て、グラウンドに行ってみることにしました。

横浜国大周辺マップ3

横浜国大周辺マップ3

横浜国大正門

横浜国大正門

研究室時代、夏休みの猛暑の時、このプールに避暑に来ました。ただ、浮いているだけでした。大学の設備はほとんどが、タダなのがうれしいです。

プール

プール

その奥にハンドボールコートがありました。私は、大学ではやりませんでしたが、高校ではハンドボール部でした。一緒に廻ってくれた友人が、体育会のハンドボール部だったので、見に来ました。大学本体から、実に遠いです。

ハンドボールコート

ハンドボールコート

そろそろ、帰路につこうということで、サークル棟まで戻り、体育館横の南通用門から、和田町まで行くことにしました。昔、ここに弓道場があったように記憶していますが、今は荒れ果て見当たりませんでした。

下の写真は、常盤公園から南通用門を見返したところです。この写真左の酒屋に、清酒「横浜国大」というのが売っていました。たぶん同じものが校内売店にもありましたが、なぜ清酒?

ちなみに、1食や2食の売店で売っていた国大オリジナルグッズは、Tシャツやクリアファイル、マグカップ、国大煎餅、カップめんなどですが、昔あったエンブレムシールはありませんでした。

帰路:常盤公園横

帰路:常盤公園横

復路では、往路とは異なるルートを通って、和田町駅に来ました。遠く、保土ヶ谷、旭区と続く山々が見えます。この谷間を相鉄線が走っているんですね。

和田町駅に向かう下り坂

和田町駅に向かう下り坂

レポートはこれで終わりです。校内で、写真を撮りまくりましたが、誰かに咎めだてされるようなことはありませんでした。世の中は物騒になってきていますが、オープンな雰囲気の大学は、やはりいいですね。

ガラス絵皿は、新たな表現手段です

フュージング画の作品に、最後にモールドで曲面加工を施して、絵皿にする制作をここ2か月続けています。曲面加工のことをスランピングとも言います。モールドも大小2種類つくり、作品のサイズも目下2種類です。

モールドは大小2種類

曲面加工(スランピング)用のモールドは大小2種類

途中までの工程は、フュージング画(無鉛ステンドグラス)と同じです。粉ガラスを下絵に沿ってガラス上に盛っていきます。この後、焼成し、これを数回繰り返して絵にします。下の写真は、葦の葉と枝をグリーンのガラスの粉で作っているところです。人間の部分は、白のオパールセントガラスを被せます。

ガラスの上にグリーンの粉ガラスを載せて

ガラスの上にグリーンの粉ガラスを載せて、この後焼成します

大皿と小皿のセットも面白いです。皿と言っても、実用に供しませんが、飾ると案外サマになるものですね。しかも、額縁が不要です。

サイズは、大が38cmx28cm、小が28cmx20cm。

大小の絵皿セット「羽織」

大小の絵皿セット「羽織」

絵皿セット「紅葉」

絵皿セット「紅葉」

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ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その13)」 「ひかりの素足」

何度読み返したかわからないほどに、繰り返し読んだ宮沢賢治の童話『ひかりの素足』。幼い兄弟が吹雪の山で遭難し、地獄と仏様を体験するという内容です。簡単に書きましたが、結末もすごいんです。短い童話なのですが、涙無くして読めません。また読みます。
ところで、10年ほど前に同題のステンドグラスパネルを作ったのですが、その写真がネット経由で若いご夫婦の目に留まり、青森県からわざわざ買いに来て下さったんです。感激しました。以下は、翌日頂いた有り難いメールです。
「無事に『ひかりの素足』と共に昨日の深夜に到着しました。正直一番気にいっていたのを譲っていただいて良かったです。私、競輪選手で骨折はしょっちゅうのことです。平成15年に練習中に、飛び出した子供と接触し、頭蓋骨骨折で一週間意識不明で三途の河のような不思議な所を体験した私です。その後『ひかりの素足』を見たときは、なんともいえない気分になりました。それは恐怖ではなく心の落ち着く感じで、おもわず見とれてしまいました。健康なときなどあまり考えもしなかった普通であることの大事さ、一日一日を大事に頑張っていかなければと『ひかりの素足』を見ると思います。相手の子供は擦り傷だけで良かったです。(後略)」
片道6時間半かけて、夕方到着されたご夫婦。『ひかり…』を一目見られた奥様が思わず涙ぐまれたのには驚きました。奥様にも大変なご苦労があったのでしょう。こういう出会いを糧に私も制作を続けます。

ひかりの素足

「ひかりの素足」、サイズ:60×90cm

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