切り文字制作

 自宅ギャラリーの切り文字(看板)の制作は、3/11地震発生直後に中断していました。
今日再開し、形にしました。
 プラズマ切断機で文字の形に切り抜いた厚さ2mmのステンレス板を、グラインダーで整形します。その後、裏面にポストを溶接します。ポストをベース板に溶接(アルゴンガスを使ったTIG溶接)して、”Gallery”と”TAPPU”の2枚の切り文字に組み立てます。

最後に、グラインダーで研磨して鏡面仕上げします。

 作業中、何度も余震がありました。午後3時過ぎに全ての作業を終え、白井から龍ヶ崎に帰宅しました。
 自宅工房で、ベース板とポスト(棒の部分)を、壁と同じ色で塗装し、3月18日に壁に取り付けました。ちょっと、ファミレスのようです。

 ところで、まだ福島の原発の状況が心配です。

東北地方太平洋沖地震のその日に

3月11日金曜日、この日付は一生忘れないと思います。
 この日、朝から菊水工業(千葉県白井市)内の彫刻家サトルタカダ先生のアトリエで、金物加工の手ほどきを受けていました。工房ギャラリーの看板用切り文字を、制作していました。
 午前中、ステンレス板をプラズマ切断機で、文字の形に切り、グラインダーでバリ取りしました。

 昼食後、棒材のステイを溶接している時

 3時少し前に、揺れが始まりました。突然大きな揺れになったのではなく、小さなゆれから徐々に大きくなり、あわてて建屋の外に出ました。3時過ぎに、かなり大きい余震が再び。その後、自分が目が廻ってふらついているのか、地面が揺れているのかわからないような余震が、ずっと続きました。
 広い構内は安全な場所でしたが、工場の建屋が大きな音を立てて揺れ始め、私達も立っているのがやっとでした。隣の工場からは異臭と煙が立ち昇り始めました。それと同時に、これは大変なことになったぞと言う恐怖感と、家族の安否への不安が湧いてきました。
 菊水工業の建屋やアトリエは、目に見えた被害はありませんでしたが、携帯のワンセグが伝える国内の状況は、まさに「信じられない」ものでした。急いで車で茨城県県南の自宅に帰りましたが、途中、瓦が破損した家屋やガラスが割れた商店が多数あり、信号も各所で停電していました。
 家族は無事で、お隣さんに身を寄せて振るえていました。食器や作品が少し割れていましたが、うちはほぼ被害が無い状態です。その後の東日本の状況は、報道で伝えられたとおりですが、数日は何をして良いのか判らない状態でした。
 とにかく、今は、亡くなられた方へのお悔やみの気持ちと、被災された方へのお見舞いの気持ち、一刻も早い救出と被害の終息を祈るばかりです。